生物多様性から思うコト

 

最近、COP10とかニュースで取り上げられテレビでも話題の多い「生物多様性」について違和感を感じるので記事にしてみました。

 

生物多様性とは

 

そもそも「生物多様性」って何?って人もいるかも知れないので、どうゆうものなのか僕のあたまの中で解釈しているものを紹介すると・・・

「生物が多種存在することを人類のために役立てよう」という事です。

 

解釈が随分ザックリしているので細かい情報を知りたい人は次を参考に

・・・ COP10支援実行委員会 公式ウェブサイト

 

僕の解釈は偏りぎみでどこかの誰かに怒られそうな表現ですが、生物多様性の根本となるのは「自然環境の保護」や「よりよい生活」を送り、更には「ある個体種から得られる利益は、その個体種が原産となった地域にも得る権利がある」事などをうたい、とても素晴らしい事がテーマとなっています。

 

グローバル社会だからこそ生まれた「生物多様性」

 

僕が違和を感じているのは、ズバリ「矛盾」です。

ここからは生物多様性の本来のテーマからは少しズレますが、片一方では「生物の多様性」主張する人類は グローバルな社会になり、自国の利益の為に発展途上国を利用してきた先進国によって「人種」や「地域」の「多様性」を無視しているのではないかと思うのです。

 

中国は大きな経済国になりました。インドやアフリカも今後ますます発展していくでしょう。電気を使って生活し、携帯電話の電波も飛び交っています。しかしその土地には元々ある生活様式や文化・人種が存在していましたが、先に発展を遂げた経済大国が 自分達の利益を自国以外から得る為に、携帯電話が必要な国に塗り替えているのです。

 

失われる「多様性」

 

もちろん携帯電話や電気を使う生活は大変便利です。しかしグローバル化は個別の地域の良さを無視し、究極には「文化遺産だけが残った 中身は同じ国」になろうとしているのかも知れません。

 

ヨーロッパの国々がユーロとして一つの組織を形成して便利になる事はいい事ですが、行き過ぎると同じ中身になってしまう可能性があるのではないでしょうか? その裏には「支配欲」という恐ろしいものが見え隠れしている様に感じます。

この様に「生物多様性」に通じる「生活多様性(とでも言いましょうか)」が自分の中に生まれて仕方ないです。

 

未来を創造できる唯一の種属

 

これを言うと元も子もありませんが、恐竜が絶滅して人類が繁栄した様に 絶滅した生物がいることで栄えた、もしくは誕生した生物種もいるはずですし、それほど自然は偉大なのです。

人間以外の他の生物は ただ生きて子孫を残す事を考え行動するとすれば、人間は唯一の地球の支配種属として 人間以外の未来も考えて行動しなければならない使命があると言えるでしょう。

 

この様に「COP10」などの人類の動きも自然の一部だとしたら、その人類が自然をも管理下に治める時が来るとすれば、地球はとれだけ本来の姿を失っている事でしょう。

 

「生物多様性」に違和感を覚えたのは 僕だけではないんじゃないでしょうか。

 

 

※本文中に出てくる「種属」という言葉は造語です。